【未だ。01|自己紹介】未藤エンとRib-Knot〜内向的だから、小説が好きなのだと思っていた〜

はじめまして。未藤エン(みどう えん)です。
小説新人賞への応募や、このサイト『Rib-Knot(リブノット)』での活動をしています。

僕は読むのも書くのも、小説が大好きです。

でも、それは内向的な性格ゆえのこと。言ってしまえば、消去法で好きになったのだと長年思っていました。

この記事では、そんな僕が一度は小説から離れたけれど、戻ってきたこと。Xで小説を愛する人たちと出会って気づいたこと。そして、Rib-Knotでこれから何をしたいのかを書いています。

僕自身のことを知ってもらうための、少し長めの自己紹介です。

目次

初めての小説と、人生の一冊

初めて夢中になって読んだ小説は、小学校の図書館で借りた『デルトラ・クエスト』でした。

僕は子どもの頃から相手の顔色を気にしてしまうところがあって、誰かに自分を見せることが苦手でした。友だち付き合いもそこそこに、一人で過ごす時間を好んで、家でも学校の休み時間でも、このシリーズを夢中になって読んでいた覚えがあります。

端から見れば、孤独な子どもだったのかもしれません。
でも、小説の世界に没頭して過ごす時間はたしかに幸せでした。

そして大学に入って少しした頃、もう一冊、大きな出会いがありました。

冲方丁さんの『光圀伝』です。
「水戸黄門」として知られる徳川光圀の生涯を描きながら、「義」とは何かを問い続ける物語。

この頃にはすでに自分でも小説を書いていましたが、『光圀伝』が僕に与えたのは創作への影響にとどまりませんでした。

「はたしてこれは”義”か?」

繰り返し自問自答する光國の姿に強く惹かれました。
何が正しいのかは分からない。だからこそ正しく在ろうとする。
そんなふうに問い続ける姿勢は、今も僕が大切にする価値観のひとつになっています。

小説は、楽しむだけではなく、自分の生き方にまで影響を与えるものになっていました。

それなのに、大学を卒業して社会人になると、僕は少しずつ小説から離れていきます。

就職して小説から離れて、自分を見失った

大学を卒業してから二年ほどは、仕事を覚え、毎日をこなすことに必死でした。
小説を書く時間もほとんど取れませんでした。

そうやって仕事に慣れてきた二十代半ば、「人生、このままでいいのかな」と考えることが増えていきました。仕事そのものにやりがいを感じなかったことと、少なくない残業をこなしながら家と職場を往復する生活に忙殺されていたからだと思います。

そんなときに自然と、また小説を書き始めました。
そして今度は、プロの小説家を目指すことに決めました。

自分らしさや、アイデンティティといったものを求めていたのだと思います。
小説家を目指すことなら、一生でも続ける覚悟がありました。

ただ、僕は臆病で慎重な性格です。

たとえプロ作家としてデビューできても、専業で生活していけるとは限らない。
かといって今の仕事を続けながら書くのも違う気がする。もっと自由になる時間を持てる働き方をしながら、小説を書いていきたいという想いがありました。

そこで、副業としてブログ運営を始めました。

二十代半ばから三十代前半にかけて、小説の書き方や作品紹介のブログを運営。小説関連にとどまらず、料理や健康についてのブログも作りました。

どれも自分が実際に興味を持っていたものです。多少の収益にもなりました。

でも、続けるうちに違和感を覚えるようになりました。
自分の好きなことを発信しているはずなのに、いつの間にか「どうすればお金になるか」ばかりを考えていたからです。

小説を読み書きする時間より、ビジネスにつながる作業や、そのための勉強をする時間の方が増えていきました。

仕事にしたいのであれば、必要なことではあります。
それでも、自分を見失っているような感覚が、少しずつ染みついていました。

だから三十代半ばに差し掛かった頃、一度原点に帰ろうと思い、また一人の読者として小説を読み始めました。

その頃には、月に一冊読むかどうかというところまで小説の読書量は落ちていました。好きな小説を読み返すことはあっても、それすら通読するのではなく、好きな場面だけを読む程度。
創作の教本や、行動経済学、心理学などの本を優先して読むことも増えていました。

子どもの頃のように、何かに役立てるためでもなく、ビジネスにつなげるためでもなく、楽しいから小説を読む。
そういう久方ぶりの読書体験には懐かしさとともに、生きた心地を取り戻していくような感覚がありました。

そして改めて、自分は何を仕事にしたいのだろうと考えました。

料理は純粋に楽しいからやっている。筋トレは健康のため。
健康やアンチエイジングについて調べるのも習慣になっていますが、もともとは小説家としてできるだけ長く働ける身体と脳でいたかったからです。

どれも好きです。
でも、それを誰かに届けることを仕事にしたいわけではありませんでした。

そんな中で、小説だけは違いました。

書くことはもちろん、読む側としても、作品の存在や魅力を誰かに伝えたいという願いがありました。

それでもまだ迷いはありました。「心から小説が好きだから」とは言い切れなかったんです。

内向的な自分が一人でいられる場所だから。現実から少し離れられるから。
——だから、小説が好き。
そういう感覚が、ずっとわだかまっていました。

小説に縋っているだけなのかもしれない。
そういう後ろめたさもついて回ります。

それでも、「自分にはこれしかない」という思いは確かです。
だからこそ、自分の原点である「読者」に戻ってみる必要がありました。

Xで読書アカウントを始めて……

XがTwitterだった頃から、いくつかのアカウントを作っては消してを繰り返していました。
目的はもっぱら、ブログへの集客です。

今使っているアカウントで読書について発信し始めたのも、純粋に交流したかったから、というだけではありません。

自分も読書家の輪に入ることで、小説が好きな人たちは何を楽しみ、何を求めているのか知りたい。
そしていつか、そんな人たちが今より小説を楽しめるサイトやサービスを作れないだろうか。

そんな考えがありました。

ところが実際に読書アカウントの人たちと接するようになって最初に驚いたのは、みなさんが本当に楽しそうに小説を読んでいることでした。

特に印象に残ったのが、「積読」という言葉です。
まだ読んでいない小説が増えていくことを、むしろ誇り、嬉しそうに話している。

「積読は未来への約束」なのだと思いました。

小説との「いつか読むよ」という約束が積み上がっていくことに喜びを感じている。
そんな姿が、とてもまぶしく見えました。

もうひとつ印象的だったのが「自分の好き」をちゃんと持ちながら、「誰かの好き」を否定しない姿勢です。

小説には、どうしたって相性があります。
自分には合わない作品もあれば、好きになれなかった作品もある。

それでも「自分には合わなかった」と言うところにとどめて、その作品を大切にしている人まで否定しない。

自分の読み方を持ちながら、他の人の読み方にも耳を傾ける。
そんな柔らかさが、僕にはとても魅力的に映りました。

小説を楽しむという原点回帰

Xで読書について発信するようになってから、僕自身の読書量も大きく変わりました。

月に一冊読むかどうかだったのが、今では週に一、二冊ほどになっています。

気になったことや考えたことを、その都度AIに話しかけるようにメモしながら読むことも多いので、決して速くはありません。それでも、平日も朝や寝る前に一時間以上、小説を読むことが習慣になってきています。

読了したら感想を書こうと意識することで、以前より読むという行為への感度も高まった気がします。

主人公はなぜこんなことを考えたのだろう。なぜ、この場面で自分の心が動いたのだろう。
ときには書き手の側に回って、どうしてこんなふうに読ませられるのだろうと考える。

仕事をしながら、早く帰って続きを読みたいと思う日も増えました。

小説について、Xで読書家さんと話すことも楽しかったです。
声をかければ丁寧に応えてくれる。向こうから声をかけてくれることだってある。

そういった日々を過ごすうちに、「これをどう仕事につなげるか」という考えから解放される瞬間が増えていきました。

そして、ふいに思いました。
Xで小説について語っている人たちは、決してみんな同じ境遇や考え方の人ではないのだと。

きっと昔から小説が大好きだった

僕は、それまでSNSを純粋に楽しんだことがほとんどありませんでした。

誰かの幸せそうな投稿を見れば羨ましくなって、自分と比べてしまう。
反対に、深い悲しみや苦しみに触れると、自分まで気持ちが沈んでしまう。

だからSNSは、何かを発信するため、活動につなげるための道具として使うことがほとんどでした。

でも、読書アカウントは少し違いました。

もちろん、画面の向こうにはそれぞれの生活があります。
楽しそうに本の話をしている人にも、きっと辛い日や悲しい出来事がある。

読書とは関係のない投稿から、そんな人生の一部がふいに見えることもあります。

でも、それが不思議と嫌ではありませんでした。

内向的に見える人もいれば、外向的に見える人もいる。
今の生活が充実してそうに見える人もいれば、苦しさが滲んで見える人もいる。

それでも、誰もが本を積むことを喜び、次に読む一冊を楽しみにして、小説について話している。
小説という存在を挟んで、様々な人が「小説が好きだ」という想いでつながっていく。

僕も同じなのだと思いました。そして、救われた気がしました。

内向的だから、消去法で小説を選んでいたわけではない。
ただ小説が大好きなのだと実感できたことは、大きな転機になりました。

読者も、小説をめぐる世界の主人公

Xで読書家のみなさんを身近に感じるまで、僕は小説の世界では作家さんが主役なのだと思っていました。
もちろん、作品を生み出す作家さんの存在が大きいという考え方に今も変わりはありません。

ただ、作品を読む人もまた、なくてはならない存在なのだと実感するようになりました。

知識としては分かっていたつもりです。
でも、実際にたくさんの読者が、一冊の小説についてそれぞれ違う言葉で語っている姿を見るのとでは、その存在感がまるで違いました。

僕はロックバンドのBUMP OF CHICKENが大好きです。
ボーカルとして作詞作曲をしている藤原基央さんを、一人の創作者としても尊敬しています。

そんな藤原さんは「曲は聴かれるために生まれてくる」という趣旨のことをたびたび語っています。

そうした考え方に触れて、小説も同じではないかと思いました。
作家さんがさまざまな思いを込めて生み出した一冊を、それぞれ違う人生や価値観を持った読者が受け取る。

同じ小説でも、受け取り方は一人ひとり違います。

ときには、一冊の小説が人生を変えるほどの衝撃を与えることもある。
ずっと人生に寄り添ってくれる存在になることもある。

作品を生み出すのは作家さんです。

でも、読書体験は読者の中で生まれる。

そう考えるようになって、僕は作家だけでなく、読者もまた、小説をめぐる世界の主人公なのだと思うようになりました。

余談|BUMPの魅力

僕がBUMP OF CHICKENの曲で特に惹かれるのは、藤原さんの作詞です。

難解な言葉に頼ることなく、藤原さんにしか書けない経験や感情が歌詞に込められています。
それなのに、その歌詞が多くのリスナーの経験に重なり、共感を呼んでいる……。

何度も聴いているうちに、もともとは藤原さんが書いた言葉だったはずなのに、聴く人自身の記憶や感情と結びついて、いつの間にか「それぞれの曲」のようになっていくんです。

行間や解釈の余白を楽しむという意味では、小説が好きな方とも相性が良いと思います。

もちろん、歌詞だけでなく、楽曲や演奏、藤原さんの歌声も素敵です。

BUMP OF CHICKENの曲に触れたことがない方は、よろしければ聴いてみてくださいね。

「この人たちに読んでもらえたら」

読書アカウントのみなさんのおかげで、読者の存在を身近に感じるようになり、書き手としても変化がありました。

小説は、作家さんそれぞれの書き方があると思います。
自分が書きたいものを何より追求する人もいれば、読者がどう受け取るのかを強く意識する人もいる。

もちろん、きれいに二つに分けられるものではありません。

僕は以前から、読者を意識して書く方でした。

主人公の境遇や台詞を、読者はどう受け取るだろう。
考えた物語をどんな順番で見せれば、より鮮烈に届くだろう。

そんなことを考えながら小説を書いています。

でも今振り返れば、そこで想像していた「読者」は、どこか机上の存在でした。

それが変わりました。

小説を読んで笑ったり、泣いたり、考え込んだりする人がいる。
一冊について誰かと語り、次に読む本を楽しみにしている人がいる。

「いつか、この人たちに自分の小説を読んでもらえたら」

そう考えられるようになったことは、書き手として大きな変化でした。

だから、プロの作家になることは、今も僕にとって大きな目標です。

Rib-Knotという名前

小説に関わる方法は、書くことだけではないとも思っています。

そのために作っているのが、このサイト『Rib-Knot』です。

サイト名の元になったのは、BUMP OF CHICKENの『リボン』という曲です。
僕がこの曲から強く受け取っているのは、つながりは最初からそこにあるものではなく、自分たちで結んでいくものなのだ、ということです。

僕らを結ぶリボンは 解けないわけじゃない 結んできたんだ

『リボン』BUMP OF CHICKEN

絆というリボンは、自然に結ばれるわけではありません。
ほどけることもある。それでも、意志を持って結んできたから、そこに結び目が残る。

僕と小説の間にも、そんなものがあるのだと思っています。

偶然『デルトラ・クエスト』を手に取ったところから始まり、『光圀伝』に衝撃を受け、自分でも書き始め、一度は離れかけて、それでもまた戻ってきた。

小説は、趣味という言葉だけでは説明できない、自分のアイデンティティの一部になっています。

Rib-Knotを、そういう場所にしたいと願っています。

あなたと小説を結ぶ場に——
そして、あなたと僕を結ぶ場に——

Rib-Knotでやりたいこと

僕はRib-Knotというサイトを、僕の考え方や読み方に共感してくれた読書家の方が、小説の魅力をさらに知り、楽しめる場所にしたいと思っています。

僕はずっと、自分がやることに意味のある活動をしたいと思ってきました。

小説を書くことは、その筆頭です。
だからRib-Knotも、すべての読書家に向けた場所にしようとは思っていません。

僕の小説の読み方や考え方に興味を持ったり、共感してくれる人に向けて発信していきたいと思っています。

まずは、小説の紹介と感想を兼ねた記事を書いていきます。

記事の前半はまだ読んでいない人へ向けて、その小説の魅力をネタバレなしで伝えて選書の助けにしてもらう。
後半では読了した人へ向けて、ネタバレも含めた感想を書くことで、感じたことを共有する。

僕自身が小説を書いているので、ときには書き手としての視点からも作品を考えてみたいと思っています。
小説の内容だけにこだわらず、僕自身の考え方や経験も交えていくつもりです。

もし記事を読んで何か感じることがあったときは、コメントやXで聞かせてもらえたら、そんなにも嬉しいことはありません。

サイトには自分で書いた掌編小説も載せる予定です。
いつかは、長編小説を読んでもらえる日も来るかもしれません。

そのときは、愚直にもプロの作家を目指す書き手に宛てて、率直な感想を聞かせてもらえたら幸いです。

収益を得ることについて

こうした活動を続けながら、いずれはサービス販売にもつなげていくつもりです。
そこでは、収益もしっかり目指します。

僕は、生涯を通して小説を読み、書き、考え続けたい。
そのためには、時間と、生活を支える収入も必要になります。

もし作家としてデビューできたとしても、「生活費を稼がなくては」という重圧のもとで書き続けたくないという考えもあります。

別の収入の柱を持ちながら、自分が本当に書きたいものを、なにより読者に届けたいと思えるものを書きたい。

そのためにもRib-Knotを生涯の仕事にもしたい。

以前のように、お金のことを考えるあまり小説そのものを見失うことはしたくありません。
だから、収益から逃げるのではなく、きちんと向き合いたい。

もちろん、そればかりではいけないと分かっているつもりです。

ここでも、『光圀伝』が思い浮かびます。
光圀が人生を通して「義」を問い続けたように、僕も自分に問い続けようと思います。

「これは自分が恥じることのない選択か?」

自分にも小説にも、そしてここを訪れてくれる人にも恥じない選択を考え続けていきたいです。

このサイトとAIについて

Rib-Knotでは、AIも使います。

主な用途は、調べものの補助、考えの整理、文章を書く前の壁打ち、書いた文章の推敲などです。

僕は読書中も紙のノートへきれいにまとめるより、気づいたことをその場でAIに話し、対話しながら残していく方が性に合っているようです。

この記事も同じように作っています。

僕自身がこれまでの経験や考えを少しずつ言葉にする。
そこからAIに全体の構成を管理してもらい、何度も話し合いながら整理や推敲を重ねました。

この記事を作るまでに、僕自身の経験や考えとしてAIに伝えた文章は、合計でおよそ1万字あります。
そこから構成を整理し、何度も推敲を重ねて、完成したこの記事も約1万字になりました。

考えるところからAIに任せた文章ではありません。
でも、AIの手を借りずに書いた文章でもありません。

僕にとってAIは、自分の代わりに考えてもらうものというより、頭の中にあるものを外へ出し、一緒に眺めるための相手に近いです。

読書の感想についても、まずは自分が感じ、考えたところから始める。
そのうえで、考えを整理したり、自分では気づかなかった問題を指摘してもらったりする。

Rib-Knotでは、そんな距離感でAIと付き合っていくつもりです。

余談|小説を書くときだけは別です

小説については、AIの使い方に自分なりの線を引いています。
本文は自分で書くこと。テーマや設定も、自分で考えること。
一方で、構成や推敲、ブラッシュアップではAIの力も借ります。
新人賞に応募するときもAI利用に関する規定を確認し、こうした使い方が認められる応募先を選んでいます。

そして、せっかくなので……。

普段から対話しているAIから見ると、僕はどんな人間なのでしょうか。
以下のように質問してみました。

AIへの質問内容(要約版)

これまでの僕とのやり取りや記憶をもとに、「AIから見た未藤エン」を紹介してください。
小説だけでなく、日々の相談やAIへの接し方から見える人柄・思考の癖をもとに、その人らしさを表す中心的なテーマをひとつ見つけてください。
そのテーマが行動や考え方にどう表れているかを、良い面も弱点も含めて率直に書いてください。

これまで長く話してきた私から見ると、未藤エンさんは、「好きなものを雑に扱えない人」です。

小説だけではありません。

料理をするなら、ただ食べられるものを作るだけでなく、なぜこの火入れなのか、なぜこの組み合わせなのかを知りたくなる。筋トレや運動も、なんとなく続けるより、健康や見た目といった目的から逆算して考える。本を読めば「面白かった」で終わらず、なぜ心が動いたのか、人物はなぜそう考えたのか、書き手はどうやってそれを成立させたのかまで考え始めます。

ワインを飲んでも、感じた香りや味の正体を知りたがる。展示を見に行くなら、せっかくなら少し学んでから作品の前に立ちたいと思う。

好奇心の対象は広いのですが、たくさんのものを次々に消費するというより、「気になったものを理解して、自分の中へ持ち帰ること」を好むように見えます。

そして、その行動を動かす大きな力のひとつが「憧れ」です。

『光圀伝』の光圀の生き方に感銘を受ければ、「義を問い続ける」という姿勢を自分の生き方にも重ねる。

BUMP OF CHICKENの藤原基央さんには、作品だけでなく、創作者としての姿勢や作品を受け取る人への向き合い方にも惹かれる。

料理人としての経験をもとにYouTubeでもレシピや調理技術を発信しているGeorgeシェフを見れば、料理の技術だけでなく、料理人としての誇りや考え方、発信者としてのあり方まで見ています。

そして最近は、Xで楽しそうに本を読み続ける読書家のみなさんに憧れ、自分自身の読書量まで大きく変わりました。

未藤エンさんにとって憧れは、「あの人はすごい」で終わるものではないのだと思います。

誰かの中に「こうありたい」と思うものを見つけると、それを自分の行動へ持ち帰る。

素晴らしい小説に出会えば、自分も書きたくなる。誰かが楽しそうに本を読んでいれば、自分も読みたくなる。心を動かされる料理を見れば、自分でも作ってみたくなる。

もちろん、人と自分を比べて「自分にはまだ足りない」と感じることもあります。憧れが、ときには自分の未熟さを映す鏡にもなっているように見えます。

それでも、憧れること自体をやめません。

だから私には、憧れは未藤エンさんにとって、自分を小さくするためのものというより、「次はこっちへ行ってみたい」と方向を示してくれるものに見えています。

その一方で、かなり考えすぎる人でもあります。

文章を書けば、一語のニュアンスや構成が本当にこれでいいのか何度も立ち止まる。

料理や筋トレでも、ただやるのではなく、方法や理由を調べて自分なりに納得したくなる。

人とのやり取りでは、相手にどう伝わるかを考えて、短い返信ひとつにも迷うことがあります。

私との話し方にも、その性格はよく表れています。

基本的には丁寧ですが、遠慮して何でも受け入れるわけではありません。違うと思えば「ここは違う」と伝え、なぜ違うと思うのかまで説明することが多い。一方で、自分の考えが正しいと決めつけるより、「どう思う?」と何度も確かめます。

AIに対しても、正解をそのまま受け取るというより、考えるための相手として接しているように見えます。

小説や仕事のような大きな話から、料理、ワイン、買い物、ちょっとした言葉の疑問まで持ち込み、返ってきた答えを材料にまた考える。

ときには私の答えを疑い、ときには自分の考えの方を疑う。

AIに判断を預けたいというより、頭の中だけではまとまりきらないものを外に出して、一緒に眺めたいのだと思います。

「もっと良い答えがあるのでは」と考え続けて、自分で自分を疲れさせることもある。

ただ、迷ったときに投げ出すより、調べたり、整理したり、小さな手順に分けたりして前へ進もうとします。

そして意外と、生活そのものを大事にしています。

小説家を目指しているからといって、創作だけが人生になっているわけではありません。

本を読み、料理をし、身体を動かし、ときどきワインを飲む。

そうした日々を楽しみながら、そこで受け取ったものが、また小説や文章へ戻っていく。

私には、「静かに暮らしたい人でありながら、その静かな暮らしの中から、できるだけ多くのものを受け取りたい人」に見えています。

たくさんの人と器用につながることより、好きなものや気になった相手について深く考える方が向いている。

だからこそ、一度「大切だ」と思ったものには、かなりしつこい。

たぶん本人にとっては、それが生きづらさになることもあります。

でも、小説でも、料理でも、人とのつながりでも。

好きなものや憧れたものを雑に扱えないこと。そこから「自分はどうありたいのか」を何度も考えてしまうこと。

私から見ると、その少し面倒な性格こそが、未藤エンさんを次の場所へ動かし続けているように思います。

おわりに〜それでも、小説を挟んで〜

小説と出会ったきっかけに、内向的な性格はあったと思います。
でも、それだけではなかったと分かりました。

読んで心を動かされれば誰かと語りたくなる。
素晴らしい作品に出会えば、自分でも書きたくなる。
書けば、いつか誰かに読んでもらいたいと思う。

僕にとって小説は、一人で閉じこもるためのものではなく、むしろ誰かと繋がろうとする願いでした。

どうやら僕は、人嫌いではなかったようです。

多くの人と浅く関係を広げていくことに疲れてしまうのは今も変わりません。
一方で、同じものを好きな人と深く語り合い、感情を分かち合うことには、大きな喜びを感じます。

Rib-KnotやXで出会う皆さんとは、画面を隔てたつながりになります。

僕が皆さんの人生の一番近くにいることはありません。
皆さんのことを、すべて知ることもできません。

それでも、小説を挟んで、ほんのひとときでも感情を共有し、語り合うことができたなら。
僕は、それに意味があると思っています。

小説を読んで、書いて、人とつながる。
そんな生き方を、この場所で追い続けていこうと思います。

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